東宝の映画と山の手文化

前回、アメリカの黄金時代のサウンドについて書きましたが、今日はその流れで東宝の映画について。
筆者の子供の頃は、映画と言えば東宝の怪獣映画に決まっていました。また、父親の影響で戦争映画も見ていましたし、併映の若大将シリーズとか駅前シリーズなんかも強く記憶に残っています。
ちなみに、一時、怪獣ブームに煽られて他社からも大映ガメラシリーズ)、日活(大巨獣ガッパ)、松竹(宇宙怪獣ギララ)などが一斉に出てきた時期がありましたが、大映を除いて一過性に終わりましたね。もちろん、円谷英二を始めとするスタッフの厚みが大きかったんでしょうが、会社の体質も大きく左右したように思います。というのも、歌舞伎の興行師であった松竹とか満映の残党が興した東映とか裏社会とのつながりが取りざたされた大映永田雅一は元?やくざらしい)などと違って、阪急という堅気の会社をバックに財界肝いりで発足し、国際性もあった東宝のみがSF性の強い怪獣映画に適していたということなんでしょう。怪獣映画だけでなく、作品にも何となく近代的というかおっとりした雰囲気がありましたね。というか、他の会社の作品が余りに安っぽく感じられたという言い方も出来ますが。
ですから、松竹が寅さんに、東映やくざ映画に、日活がポルノに転じていったのもある意味会社のルーツがなせるわざなんでしょう。
それはともかく、もう一つ東宝に感じるのは、いわゆる山の手文化です。そもそも松竹が銀座以東、特に浅草を中心とした下町(銀座も多分に下町性があります。それが銀座の隠れた魅力なんですが)を根城としていたのに対し、東宝日劇・帝劇以西の新開発地が地盤だったようですね。それだけではなく、東宝には成蹊大学出身者が多いそうな(自身も成蹊出身であるホイチョイプロダクションによる)。成蹊と言えば筆者のイメージは典型的な坊ちゃん学校で、それがあのようなおっとりした社風が出てきた一要因でもあるようです。
また、撮影所は調布にあり(まあ、これは日活や大映も一緒でしたが)、円谷プロ祖師ヶ谷大蔵に、といかにも山の手ですね。ちなみに直接の関係はないものの、アニメの旧東京ムービーは筆者のふるさとである阿佐ヶ谷にあり、今も中央線沿線はアニメ産業の中心地になっています。

こうしてみると、筆者がなぜ東宝の映画やテレビのウルトラマンシリーズにほっとするものを感じるかがよくわかります。要するに、中産階級的な山の手文化なんですね、また、あまりカネの匂いがしない。やはり、阪急というしっかりしたバックがあるせいでしょう(もっとも、昭和40年代以降の映画不況の中では苛烈なリストラも行われ、それまでは大部屋俳優はすべて社員だったのがいっせいにクビを切られたようですが)。

ただ、気になるのは、現在の日本では東宝の一人勝ち状態で、松竹・東映あわせても東宝の数分の一とか。東宝の個性が薄い分だけ、すべてこれでいいのかとも思ってしまいます。贅沢なようですが、あくまでも複数の個性のぶつかり合いを期待するものです。