坂の上の雲について

NHKの「坂の上の雲」を見ていますが、やればできるじゃないかという感じですね。「天地人」があまりにひどかったこともありましたが、とにかく造りが丁寧で好感が持てます。いや、俳優陣については天地人も熱演ではあったと思います。特に松方弘樹の家康なんかなかなかの迫力でした。しかし、根本的には上杉を一方的に持ち上げることに相当無理がありましたね。これは前にも書いた気がしますが、そもそも、上杉氏は冬になると食えなくなるので関東に攻め込んで食糧や人を掠め取っていくのが常であり、関東の民にとっては中国にとっての匈奴と同じく恐怖の野蛮人だったはずです(この辺は藤木久志氏の「雑兵たちの戦場」などが詳しい)。そのような存在だったため、何度関東に出兵しても領土を保持できなかったんでしょうね。民の支持が期待できないですので。おっと、ちょっと前振りに深入りしすぎましたか。

それにしても、マスコミが一斉に「坂の上の雲」とか日露戦争を取り上げているのにはいささか鼻白むものがあります。もちろん、ドラマ自体が相当前から準備され、それとともにマスコミへの仕掛けもいろいろなされているせいなんですが、その取り上げ方がこれまた手放しの褒めようですので。

確かに、日露戦争の勝利まではすべてがうまく回っているように見えます。しかし、「勝った」瞬間から日本のその後の転落が始まっているとも言えます。大体、本当の「勝利」とも言えないですし。もしもロシアの体制がもう少し安定したものだったら、戦争がさらに続き、そうなったら少なくとも陸軍は総崩れになった可能性が高いですね。シベリア鉄道で膨大な兵員が送り込まれ始めていましたから。
また、日比谷焼き討ち事件は当時の日本人がいかに夜郎自大になっていたか、あるいは政府が国民に本当のことを言わない「大本営発表」がすでに始まっていたことを物語っていると思います。そして、戦後、山崎正和氏の言うところの「不機嫌な時代」に入っていくわけです。
また、日露戦争自体の総括もきちんとされない。日露戦史が自慢話のオンパレードで、史料として使用に耐えないことはつとに有名です。これなんか、典型的な軍人の劣化ですよね。軍人の劣化と言う意味では、日露の殊勲者たちが戦後にいろいろ害毒を及ぼしており、その典型が東郷平八郎であったとも言われます。

どうして、このような事態になったのか。
一つには、当時の日本人にとっては、日露戦争は能力の限界と言うか、波動砲じゃないですが120%のエネルギーを出してしまったということが考えられます。とにかく、国のあらゆる力を戦争に結集していったわけで、その後に疲れがどっと出てきたという言い方ができます。変なたとえですが、単なる疲れと言うよりも、覚醒剤を打った後の倦怠に近いのかもしれません(覚醒剤は脳のエネルギーとか快感物質を出させる作用があり、さめた後はそれらが不足するため猛烈な倦怠に襲われるため、それから逃れるためにさらに使用せざるを得なくなるとか)。というのは、当時の未熟なマスコミの煽り方が相当なものだったようですので。また、国民の方もまだまだナイーブだったということでしょう。
それはともかく、軍人についていえば、「馬脚を現した」ということなんじゃないでしょうか。先ほどの東郷にしても、連合艦隊司令長官に抜擢されるまでは二流の位置にいましたし、そもそも抜擢の理由の一つが独断専行しそうもない、ということだったようですので(下馬評の高かった日高壮之丞はこの理由で見送られたとか)。ですから、戦後、軍神に祭り上げられて元老的な存在になった途端、無能ぶりをさらけだしたとも言えそうです。また、川上操六とか田村 与造などの俊才が戦争準備の中過労で亡くなっていますし、児玉源太郎も戦後まもなく急逝します。実際は、この辺の層がもう少し長生きしていたらあるいは事態は変わっていたかもしれません。しかし、どうも戦後は二流どころがその本性を表わした部分が大きいように思います。

ただ、もう少し考えてみると、彼らの「本性」の中に、実は幕末の「攘夷」が十分に合理化というか消化されていないという部分はないでしょうか。ご存知のとおり、幕末の「攘夷」はその本質が倒幕運動であり、新体制になった瞬間に雲散霧消してしまいました。もちろん、運動の中枢の人間はそれがマヌーバーであるということは百も承知だったでしょうが、若い者には攘夷を真剣に信じた者が多かったはずで、それが明治になって一転して西洋一辺倒になったことについては相当なトラウマが残ったと思われます。日露戦争当時の司令官クラスはそのような幕末を過ごした層であったわけで、実はそのような深層心理が彼らを必要以上に自己肥大させた可能性も否定できないでしょう。要するに、本当は彼ら、西洋が嫌いで、それが日露勝利によっておおっぴらに表出できるようになったということです。

というわけで、この一種のブーム、あくまで批判的な目を忘れたくないですね。いや、むしろそのような目をもって見た方が余計に楽しめるように思いますよ。