戦艦武蔵

年末に一時帰国しまして、その際、両親のもとにも顔を出しました。で、何冊か本ももらってきたんですが、その一つが吉村昭の「戦艦武蔵」で、帰りの飛行機の中で読んでしまいました。
実は、少し前にこちらで見ていたTV番組の中で、ドキュメンタリーの秀作として取り上げられており、読んでみたい本でしたので、これ幸いともらったわけです。

内容としては、あとがき含め250ページ中、180ページが建造にあてられています。実際、大変な苦労の連続だったわけで、読んでいて飽きなかったですね。冒頭は、建造中の艦を目隠しするための葦が集められる話から始まり、一連の工程が記述されていくんですが、特に印象的だったのは、進水だけに1年以上の研究に没頭した技師の話です。艦体自体が非常な重量であるだけでなく、長崎造船所の海面は非常に狭いため、進水後向こうの岩壁に衝突しないための対策までしなければならなかったと言うわけです。
そうして苦心惨憺して建造した武蔵ですが、その巨大さゆえ基地停泊が長く、結局大した戦果をあげられないまま、最後はレイテ海戦で沈んでしまう。助かった乗組員のその後の悲惨な末路(陸上の戦場にばら撒かれ、大半が戦死)も含め、巨大な徒労感が残ります。
文庫版解説で、磯田光一氏が、「一つの日本人の集団自殺の物語」と評していますが、さすがうまいことを言いますね。そう、一人ひとりは持ち場を守って精一杯努力しているのに、その総体は愚行とも言える結果しかもたらさない。戦争というものの愚かしさだけでなく、集合行動にはしばしばそのような不合理なものが現れますね。単に指導者の力不足だけではなく、そこには、個々の人間には現しえないどろどろした情念があるような気がしてなりません。つまり、個々人ではできないことが、集合行動では集合行動であることがいわば言い訳になりながら(「自分は望んでいないが・・・」)できてしまうことがあるのではないかということです。あるいは、集合行動自体が陶酔性を持っているという面も見逃せません。
そう考えると、著者である吉村昭氏が、著述の大半を建造にあてた気持ちが何となく分かりますね。