雪斎殿の40年周期説と我慢のしどころ

政治学者である雪斎こと桜井淳東洋学園大学准教授のブログは欠かさずチェックしていますが、少し前の「2045年へ・・・」は秀逸でした。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-9ca6.html

氏は、いわゆる近代日本盛衰四十年説を引用しながら、世代論を展開しています。この四十年説というのは、明治維新の1867年、日露戦争勝利の1904年、太平洋戦争敗戦の1945年をそれぞれ谷と山とする説でなかなか説得力に富んでおり、特に物事を単純化したがるサラリーマン層には受けがいいですね。
今日はこの論を前提として話を進めてみたいですが、筆者としてこの説に魅力を感じるのは、山が1985年ごろに来ているという点です。前にも書いたように、筆者、日本の高度成長はオイルショックで終わっており、その後に「安定成長」が叫ばれた時代のことを皆が忘れてしまっていることを非常に不思議に思っています。このようなことは森永卓郎さんが書いていますが、最近では「下り坂社会を生きる」で小幡績さんが同じようなことを言っていて、はたとひざを打ったものです。
一旦はバブルの時代を迎えますが、筆者には本質的な成長の時代とはとても思えませんし、財政的には今に至るも役満を振り込み続けてハコテン、いや大変な借金になりながら打ち続けるヘボ雀士に見えてしまいます。もちろん、バブルの時代に今のような衰退を予想することは難しかったかもしれませんが、すでに人口動態は少子高齢化を予想していましたし、年金が立ち行かなくなることも明白でした。逆に、そうした破綻の予感を忘れるためにバブルが発生したようにも思えます。
それにしても、あと15年も下り坂が続くと思うとげんなりするかもしれません。つい、成長戦略なんて言いたくなるかも知れません。
筆者の考えは、成長を捨てる必要はないんですが、「来年からの」成長はあきらめた方がいいんじゃないかということです。こんな少子高齢化の中では、昔のような高度成長なんかありえませんよ。むしろ、公共事業なんか、マイナスの乗数効果じゃないかと思えるときがあります。年金原資を食いつぶしているんですから。
しかし、いやな言い方をすると、団塊の世代が通過したあと(この意味は分かりますね)、短期的かもしれませんが「高齢化」の呪縛から逃れることが出来る可能性があるんじゃないかと思っています。もちろん、そうなったら単純に成長の波に乗れるとも思えませんが、少なくともこのあたりをターゲットにいろいろ「仕込み」をするなんて悪くないんじゃないでしょうか。
筆者、これも前に書きましたが、博打において、大数の法則と確率の間に「つき」というかある種の循環があると思っていますが、社会についても同じようなことがあっても不思議じゃないですね。ですから、今はマージャンで言う「我慢の時期」であり、大きな上がりよりも振込みを警戒しながら小ぶりな成果を求める、同時に将来に対して準備する時期なんじゃないかと思うんですよ。
で、何が仕込みかと言うと、やはり人材育成でしょうね。大戦後の高度経済成長の一つの原動力は、それまでの教育にあったのではないか。具体的には、平均的なレベルの高さと、教養主義と、理系の充実です。しかし、筆者、昔の教育を再現しようなどと言うつもりは毛頭ありません。これも書いたことがありますが、高度成長の限界はそれまでの教育がその限界(というか寿命)にぶちあたったことにもあると思うからです。じゃ、どういう方向がいいのか。未だ模索の中にあるとは思いますが、変なハコモノ議論よりもよほど面白く、未来を感じさせる模索ではあります。個人的には、知識面だけでなく、感性とかあるいは助け合いの心とか、今まであまり目を向けてこなかった部分に将来を感じています。
但し、前提として戦争を絶対に避けることです。戦争を起こしては、何にもなりません。実は結構難しい選択を迫られることがあろうかと思いますが、国民としても取り組みがいのある仕事と思います。
そう考えると、ここしばらくの世の中も、なかなか捨てたもんじゃありませんぜ。