遠くのものの小さすぎるイメージ

最近読了したハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」はなかなか示唆に富む本で、さまざまな警句に満ちていますが、その中で面白かったエピソードとして、キューバ侵攻を計画していたケネディとそのグループに対し、ある将軍がキューバの地図とアメリカ本土の地図を重ね合わせ、キューバが単なるちっぽけな島ではなく、ニューヨークからシカゴと同じ、800マイルもの長さを持つことを示して人々をびっくりさせるくだりがあります。彼はさらにその上にキューバからするとケシ粒のようなタラワ島の地図を重ね、ここの攻略に1万8千人が3日間かかったことを示したとか。しかし、結局キューバ侵攻は実施されてしまいましたが。

それはともかく、どうも、人間って、遠くのものは小さく、かつまとめてイメージするくせがあるようです。例えば、日本は「極東」に位置しているなどと言われますが、この言葉、ヨーロッパから見た位置ですね。しかし、問題はその範囲です。時代により異同はあるようですが、彼らから見て近い方から、バルカン半島とトルコあたりの「近東」、現在のアラブ諸国やイランあたりを包含する「中東」、そしてインド以東の「極東」に分かれるんですが、こうして見ると、極東の範囲がやたら広く、かつ文化的な均一性が無いことがわかります。近東であれば、かつてのオスマン帝国の最大版図に近いですし、中東もその内部に相違があるにせよ「イスラム圏」とくくることが可能です。しかし、極東の場合はねえ。少なくとも、インド文化圏と中国文化圏には分けるべきでしょうが、ヨーロッパ人にはお構いなしだったんでしょうね。

しかし、日本人もその弊から逃れているわけではありません。例えば、あの広大なアフリカ大陸についてのイメージって、十把ひとからげじゃないでしょうか。つまり、「少年ケニア」のそれですね。実際、筆者もほとんど情報を持っていませんが、一部の国の最近の経済発展は相当なもののようです。しかし、それぞれの国を個別情報で識別することすら出来ませんね。
あるいは、昔の太平洋戦争でも、大本営の作戦指導には現地の地理感覚の弱さがあったようです。例えば、南太平洋の渡洋爆撃作戦なども、何も無い洋上を何時間も飛ぶことの困難(そのため、乗員の疲労や到達の困難などが相当あったようです)も大本営にはなかなか理解されなかったとか。
あるいは有名な激戦地であるガダルカナルって、ほんの小さな孤島のようなイメージを持つ人が多いと思いますが、実は四国の3分の2ほどもある大きな島で、戦闘はそのほんの一部で行われていたんですね。

どうも、近くの事柄にはとりわけ違いを感じてしまい、遠くのものは小さく、かつ均一なようなものだと思い込んでしまうということですね。

実は、この話、中国に進出していたアメリカ企業が、どうせ日本と同じようなものだと高をくくっていたのに、ここへきてどうも違うようだと気づきはじめた、という情報をキャッチして書いてみました。グーグルなんかがその一例ですね。そりゃそうでしょう、この二国の間には、欧米の(おっとこれもくくりが大きいですが)基準への親和性において大きな隔たりがありますね。

要するに、どんなに遠くの国や地域にも、自分たちの周辺と同じような多様性や利害関係があるという、当たり前のことに対する想像力が大切であるということですね。