ブダペストから(その2)

さて、2日目ですが、最初にその名もおぞましい「恐怖の館」に行きました。いや、別にお化け屋敷ではなく、第二次大戦前は極右政党「矢十字党」の本部、戦後は秘密警察の本部になった建物で、共産主義崩壊後にそれぞれの時代の所業を告発する形で公開されているんです。残念ながらハンガリー語主体で詳細は分かりませんでしたが、その雰囲気は伝わります。地上4階、地価1階なんですが、問題は地下で、牢獄や取調室や処刑場なんですね。小さなスペースですが、非常に陰惨なところで。ただ、この「博物館」も、旧共産党が政治復帰する中で、政争のテーマにもなっているとか。

そこから、市民公園まで徒歩。歩いたのは、アンドラーシ通りという、オーストリアハンガリー時代の初代首相の名を冠した広々とした道路なんですが、ガイドブックによると、名前が本当に何度も変わり、最初のシュガール通り(放射状という意味)→アンドラーシ通り(彼の死後すぐ)→スターリン通り(いつの時代かすぐ分かりますね)→ハンガリー青年通り(ハンガリー動乱当時の短期間)→人民共和国通り→アンドラーシ通り(1990年以降)と、まさに歴史を体現しています。この通り沿いには、各国の大使館の他、リストやコダーイなどの旧宅があり、それらをやり過ごしながら進みます。

市民公園は、東京の上野公園的な場所で、中には美術館2つ・博物館3つ、それに温泉とか動物園、はては国立サーカスまであるんです。今回は、西洋美術館でスペイン絵画の大コレクション(スペイン国外で最大規模なんだそうな)などを見ましたが、本当に収蔵されている画家のパターンって、どこの国でも似ていますね。昔の貴族のコレクションにはある基本があったんでしょう。中東欧ではクラナッハはまず絶対にありますし、イタリアルネサンスルーベンスなどのフランドル派も必須です。でも、きっと結構工房での大量生産の部分があるでしょうし、中には贋作も混じっているのではという気分にさせられます。

最後はシナゴーグユダヤ教の礼拝所)に。残念ながら閉まっていましたが、本当に巨大かつ豪華な建物でしたが、当然いろいろな歴史があったんでしょうね。

夜はオペラ感激としゃれ込んだんですが、ここのオペラハウスは多分戦災を受けていないらしく、華麗な内装がそのまま残っています。皇帝専用の階段室や貴賓席などもあり、これを見るだけでも来た甲斐がありました。もっとも、客種はいろいろな人が混じっており、一幕目が終わって退散する人もぼつぼつ見受けられました。やはり観光シーズンの、オペラに不慣れな人たちなんでしょう。

なお、今回、ハンガリーの料理も味わってみましたが、これがなかなかいける。特に二日目は、やや安っぽい感じの店でしたが、グヤーシュという、パプリカ主体の牛肉スープに、フォアグラのグリルを賞味しました。前者はボルシチのパプリカ版、後者はレバニラ炒めのレバーの代わりに生のフォアグラが使われたような料理でしたが、こんなに大量のフォアグラを食べたのは初めてでした。で、合計2000円もしないのでこたえられませんね。

しかし、店の人と話したりしていると、ハンガリーに本当に誇りを持っていることが分かります。そうした意識はいろいろな博物館や美術館でも感じられました。もちろん、民族というものはすべからく誇りを持っているものですが、周囲とは言語も違い(隣国は大体スラブ系)名前にしてもアジア人と同じく苗字・名前の順であるなど、独自性を意識せざるをえないことから、自然に民族感覚が醸成されるように思えます。中学高校では、ハンガリーはヨーロッパにおけるアジア系の「人種島」などと習いました。実際に来てみると、顔つきは他のヨーロッパ人とほとんど変わらず、金髪の人も多いんですが、意識としては「アジア人」あるいは「アジアから来た」という意識を濃厚に持っているように思います。

ところで最後に。1日目の最後にある広場を通りかかったところ、中高生くらいの若者が大勢集まって、枕から中身の鳥の羽を出しながらぶつけ合っている光景に出くわしました。非常に楽しそうで、かつ太鼓の音にあわせてやっているんですが、イースター恒例のイベントなんでしょうか。それにしてもお国さまざまです。