マニアックウィーン紀行(第一日目)

今回は車で。
チェコからオーストリアに入ると道路が格段に良くなる。天気も朝方の曇天から晴天になり、何だか「西側」気分を味わう。ただ、国境からウィーンまではそんなに距離が無いため、有料(ステッカーを購入してウィンドウに貼る必要あり)の高速道路を避けようとしたのに、なんとなく高速道路に入ってしまった。それならば途中のガソリンスタンドで買おうとしたらいつまでもスタンドが無く、またCDを聴いていたのに突然放送が入ったりして焦る(金を払えという警告かと思った)。結局、ウィーンの宿に到着したのは午後二時くらい。
チェックイン後、ホテルで「ウィーンカード」を買って、出発。これは、72時間公共交通機関が乗り放題でかつ美術館などが割引になる優れものだ。もっとも、大体の街ではこの種のカードで入場料がただになったりするのだが、さすが観光で食っている(?)ウィーンだけあって、少し割引になるだけらしい。早速、地下鉄でシュテファン広場に。教えられたとおり、使用開始の印に、駅で改札するが、刻印された数字が日にちとも見えず、少し不安になる。
シュテファン広場は、もの凄い数の観光客。季節も良く、カトリックの祭日のため、観光シーズンということらしい。
最初に、ユダヤ博物館に。渋いと思われるだろうが、ヨーロッパに来てから強制収容所を沢山訪れ(ポーランドではアウシュビッツ、マイダネク、グロス・ローゼン、ドイツではダッハウ、ベルゲンベルゼン、ノイエガンメ、ザクセンハウゼンチェコではテレジーンなど)、また、4月にはベルリンのユダヤ博物館(これは本当に大規模でかつ勉強になる施設)、5月にはアムステルダムの博物館にも行ったりしているので、ここでも何か勉強になるかと訪れた次第。残念ながら、この博物館は規模も小さく、展示内容もそれほどではなかったが、特別展でバルカン半島ユダヤ民族の歴史の展示があり、ユダヤ人が本当に津々浦々に分布していたことに改めて驚かされる。また、最上階はユダヤ祭具の倉庫になっており、おびただしい収蔵品がそのまま展示されている。中には子供用のおもちゃ的な祭具もあり微笑を誘われたが、所有者たちの運命を考えると笑ってもいられない。
その後、歩いて王宮に。途中に、「ドロテウム」という立派な建物があり、後で調べるとオークション会社だそうな。
王宮はオーストリア帝国の宝物館が有名だが、ここは何回か行っているので、今回は図書館であるブルンクザールを訪れる。図書館といっても、元王室の持ち物だけに、高い天井に重厚な造り。ここでも特別展をやっており、テーマは中世におけるキリスト教イスラム教・ユダヤ教知識人の交流についてで、そうした時代の本を展示しながらいろいろな分析を加えている次第。筆写本のみの時代にいろいろな知的交流が行われていたことに思いをはせながら、よく見るとこの図書館自体がそうした稀覯本の収蔵庫のような感じであり、王権としての権威の誇示装置となっていたようにも思える。
次に、モーツァルトハウス・ウィーンに。ここは、ウィーン市内に残る、モーツァルトが住んだことのある唯一の家、というかアパートで、モーツアルト関係の展示館になっている。
もっとも、説明にもあったが、この建物の300年近くの歴史の中で、モーツァルトが住んだのはわずかに3年弱であり、そのため彼をしのぶよすがは何も残っていないのが実際だ。何でも、モーツァルトは30回、ベートーベンに至っては70回以上引っ越したそうで、特にベートーベンの場合はほとんどが家主とのいさかいが原因だったとか。
展示の中で最も勉強というか印象に残ったのは、モーツァルト時代のハプスブルク宮廷にいた「宮廷ムーア人」について。ムーア人というのは、そもそも北アフリカベルベル人のことだが、どうも黒人を含めた肌の黒い人々一般を指していたらしい。で、18世紀当時、宮廷に使用人としてムーア人を置くのが流行していたそうな。で、モーツァルトの時代にも一人の宮廷ムーア人がいたわけだが、彼は子供の頃、ナイジェリアで捕らえられ、奴隷に売られてきたものの、高い知的能力で宮廷のサロンの一員にまでなり、モーツァルトとも交流があったということ。ところが、彼は死後、娘の懇願にもかかわらず剥製にされ、かつ珍奇な格好をさせられて宮廷内の博物館に陳列されてしまったとか。そして、1848年の3月革命のさなかに焼失してしまったのだそうな。「貴人に情なし」という言葉があるが、当時(そしてひょっとして今でも)のヨーロッパ人の他人種に対する感情を垣間見た気にさせられる。
夕食に、「プラフッタ」という、ウィーン料理の老舗に行く。「ターフェルシュニッツ」という、牛肉のスープ煮込みが名物で楽しみにしていたが、残念ながらウェイターたちの動きが悪く、メインディッシュと付け合わせが一緒に出てこないなど、ちょっとどうかと思う。他のテーブルでもトラブルになっていた。料理自体はうまかったので余計残念。
食後まだまだほんのり明るい中、徒歩で楽友協会ホールに向かう。実は直前にもかかわらずマウリツィオ・ポリーニのピアノ独奏コンサートチケットが取れたのだ。楽友協会ホールはニューイヤーコンサートが行われることで有名なホールで、写真で見ると豪華だが行ってみるとただの木造のぼろいホールだ。造りはほとんど学校の体育館のようで、一階はただの平面だし、二階席は向こう正面はひな壇になっているものの、側面は一列目のみステージが見え、2列目は怪しく、3列目はもう絶対に見えないというありさま。筆者は二階席の2列目で前にかがむと見えただけましか。ちなみに、一階席の後ろには立見席があり、大勢つめかけていたが、きっと一列目しか見えないと思われる。
ポリーニは猫背でひょこひょこと出てきて気弱そうな愛想笑いをしてくれる。何だか、今の天皇さんのような雰囲気。しかし、演奏が始まると見違えるような迫力でいすの上で体をはねながら弾く。とはいえ、筆者にはピアノ独奏のみというのはちょっと厳しい面あり。運転の疲労と夕食のアルコールと前かがみの無理な姿勢などでしばし睡魔に襲われそうになる。
ともあれ、ウィーンの第一日目はこうして終了。