退却

クラウゼヴィッツ戦争論を改めて読んでいて思ったのは、「退却の恐怖」ですね。つまり、曰く、せめぎ合いの最中の損害は大したことはない。しかし、一旦退却に入ると、兵員も資源も多大の損害を蒙ること必至ということです。
まあ、そうなんでしょうね。退却になれば、味方は浮き足立つし、いろいろなものを遺棄せざるをえない。
ですから、ヒトラーはひたすら「港を死守せよ」と叫んだんでしょう。
でも、「死守」はその後の挽回の成算があってこそでしょう。成算なき死守は、ただの資源の無駄遣いのように思えます。篭城しかりです。

将たるもの、成算を説明する義務があると思うんですよ。死守するにせよ、退却するにせよ、その後のデザインを説明しなければただの崩壊です。
退却の恐怖は常にトップにリスクとしてあるのですが、逆に退却の余地を残すのがトップの義務のようにも思えます。
アラビアのロレンスが書いているのですが、トルコ軍の浮き足立った退却の中で、ドイツ軍人だけが整斉と引いていった。彼は感動を込めて賞賛しているのですが、まあ、プロの態度ということでしょうね。
現在のような状況で、一番求められることのような気がします・